百々貯木場と明治用水舟通閘門
2005年06月18日
ものけんメンバーで岡崎匠の会による万博の展示・催事の再現「地球市民村INおかざき」をたずねる。会場は長石醸造さんが200年以上の歴史をもつ酒蔵を地域に開放している長誉館。一度ちゃんとお話をうかがわないとね。
午後、旧平井村百々(百々=どうど、現豊田市百々町)に残る貯木場跡へ。思った以上の迫力。

近世より代々材木商だった今井家(今井善六)が建設・運営した。信州の根羽などから矢作川を管流し(バラバラに流すこと)した材木を、水を張ったなかに貯めておき、需要に応じて筏(いかだ)を組んで下流へ出荷する。木材を仕分けるためのパーティションはもちろんオリジナルだが、ウッドデッキと赤い階段は保存整備。写真奥に舌のように延びているスロープを上がると、製材所跡がある。下の写真は樋門。ここから水と木を出し入れする。川岸へ出ると、かつては土場だった。

16:00頃、豊田市郷土資料館をたずねる。土曜日(しかも休館中)だというのに守衛さんをつかまえて、貯木場で草刈りをしていたおじさんに聞いて来ました、と事情を話すと、お目当ての天野さんにお会いできた。天野さんによれば、百々貯木場のように、一種のプールをつくり水中に貯木する施設は、今のところ全国的にも類例を見いだせないという。保存状態もよいので、現在は市指定文化財(建造物)だが、県・国へ上げていきたいとのこと。着工1916年、竣工1917年だが、間もなく上流にダムができたため川の水位が下がり、木材輸送はできなくなって、1930年にはこの貯木場も使用しなくなった。第一次世界大戦後のいかにも不安定な不況の時代によくこんな投資をしたものだとあきれる。他にも色々ご教示いただき、一同感謝(とくに近藤、ちゃんと報いないとダメだぞ)。なお、天野さんたちの研究グループでは、産業観光国際フォーラム(於:名古屋国際会議場)で百々貯木場に関する研究成果を発表される (7月7日)。
その後、矢作川を少し下って、明治用水頭首工(取水するところ)に残る、舟通し閘門(ふなとおしこうもん)の遺跡をみた。パナマ運河みたいな方式で、川舟がダムの水位差を超えて運行するための装置だ。これもなかなか面白い。

百々貯木場も、明治用水の舟通し閘門も、主体構造は以前に紹介した服部長七の人造石でできている。長七の人造石は、その土地でとれる土を材料とし、水中でも凝固する特徴から、港湾施設や水利施設などの建設に用いられた。容易には破壊できないため(破壊するのはコストがかさみすぎるため)、残された遺物は意外に多い。
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Posted by: 村越里奈 : 2008年06月16日 18:54
