畔柳提灯屋さんへ行って参りました。
2005年11月28日
2005.11.24
岡崎市伊賀町にある畔柳提灯屋さんに取材させていただきました。今回主に話を伺ったのは三代目ご主人の久太郎さんです。創業から百年以上ということもあり、この提灯屋には宣伝をしなくても注文がくるそうです。そしてなんと先代のご主人の頃には宮内庁からの受注もあったそうです!何十という数の提灯を作ったそうで、菊の紋を描くのが一苦労だったとか。そんな歴史と伝統の畔柳提灯屋さんですが、みなさんとてもいい方で、提灯を張りながら、作る工程を教えてくださいました。細かく分けていくと10も工程があり、それを全て畔柳さん一家で作っています。衝撃だったのは現在では殆どの提灯が、竹ひごではなく、針金に紙を巻いたもので作られていたことです。竹を削る人が少なく、コストもかかってしまうそうです。材料の多くは提灯の名産地美濃から仕入れており、和紙も勿論美濃和紙で、提灯の種類によって紙の厚さを使い分けています。職人ですねぇ。思いがけない所で自分の作品を目にしても、自分のものは判るそうです。同じ江戸文字(勘亭流)でも違うんだとか。職人ですねぇ。(かとう)
先代の写真をおさめたあのアルバム群は感動した。
先代その人がまずすごい。写真を通してすら職人らしい頑な人格が伝わってくる気がした。撮ったのはプロじゃないと言っていたけど、露出アンダー気味の黒々としたモノクロ写真は、いかにも60〜70年代のモードを伝えていた。
それに、選挙運動用の提灯にうずもれた仕事場の写真なんかは想像しなかった光景だ。あれは60年代後半の写真。政治・社会が熱を帯びていた時代だ。その熱と提灯屋の手がリンクしていたなんて。実際、選挙の年には提灯屋は繁昌したらしい。提灯といえば神社とか町内の名前を勘亭流(タイポグラフィーですよね)で書いたイメージしかなかったけど、毛先がはねるような勢いある文字(筆を走らせた字です)で「自由民主党公認」とか「○○市長候補」とか書かれた提灯がひしめいていた。
お宝を拝見しました。(あ)
あ、そうそう。その後ひさびさに歩いた街と昼飯の洋食屋さんもよかったなあ。
こちら→http://semi.uhe.ac.jp/~aoao/mt/archives/000370.html

