サテライトオフィス便り(花火2)
2006年07月18日
松坂屋サテライトオフィスの夏期講座第二弾です。七月十八日、愛知学泉短期大学の西尾教授が「歴史の中の花火」というタイトルでお話をしてくれました。
まずは花火に使われる火薬のお話から…。
中国で発明されたと言われる火薬は、十三世紀初頭にアラビア人によって西へもたらされました。そして十三世紀半ば、そのアラビア人が黒色火薬を発明したことによって、火薬の運命は大きく変わります。黒色火薬は硝石、硫黄、木炭粉を混ぜて作るもので、爆発力が大きく増し、兵器として使われるようになりました。
火器としての使用が記録で確かめられるのは、1274年の文永の役、いわゆる蒙古襲来の時、元軍が使用した「てつはう」(てっぽう)です。これは単に馬を驚かせるための破裂弾だったようです。しかし不思議なことに、この後1543年の鉄砲伝来まで火器の記録は日本史から消えてしまいます。これは、一騎打ちで手柄をたて恩賞をもらうという当時の武士の考え方に、火器の性格が合わなかったことも影響しているのでしょう。
その後平和な江戸時代には鉄砲は徐々に顧みられなくなり、火薬は花火へと向けられるようになります。
そして1732年、江戸の両国の川開きの日に初めて打ち上げ花火があげられました。なんと岡崎でも同年打ち上げられたと言われています。この年は享保の飢饉が発生した年だったので、豊作を願う川祭りの祭礼に関連させて打ち上げられたのでは…と考えられています。江戸時代、隅田川では「たまや〜」「かぎや〜」の掛け声でおなじみの玉屋と鍵屋が競って花火を打ち上げました。回向院の相撲と共に江戸の庶民の楽しみのひとつになりました。ちなみに玉屋は十九世紀初頭に大火事を出してしまい、潰れてしまったそうです。鍵屋はどうなっているんでしょう…?
一方では人を殺す武器に、一方では人を楽しませる花火に。自分が火薬だったら、やっぱり花火になりたいですよね。

